数ヶ月溜めていた本音を本人に伝える機会があった。

わたしにとって価値観が合わない人はノイズであり、距離をおくのが最適解だとうつ病になって学んだからそれを実行していたのだが、今日「たまには戦うのもアリだな」と思った。

 

思ったことを言葉で伝えずに態度で示してしまう恐ろしさ

数ヶ月前に自分史上トップ3に入るくらいの理不尽対応を受けており、それで心がボロボロになっていたのだけれどその原因は「認識齟齬」だと判明した。事実の一部部だけを切り取って私に対して悪い印象を抱いた人間が、仕返しに理不尽な対応をしてきた、という流れだった。

それを知って「思ったことを言葉で伝えずに態度で示してしまう恐ろしさ」を実感した。

だって、お互いに事情がある。それぞれの立場にたったらどっちだって不満を感じる当然の理由がある。それは事実の一部分しか見えていないから。だけれど「あなたのここが気にくわない」と声に出して言わないとそれは伝わらない。そして往往にしてその「気にくわない」のにはきちんと理由があったり、そもそも見えていない部分を知ったら「気にくわなく」なる可能性が非常に高い。

なのにその「気に食わなさ」を言葉にせず態度に出した瞬間に双方のコミュニケーションは絶望的になる。片方は「当然の仕打ちを」片方は「理解不能の仕打ちを」という形になるから。

 

本音を押し殺さない勇気

「理不尽だ、納得がいかない、疑問」これらを思った時に相手に言えないことはわたしにとって異常なほどストレスになると学んだ。

疑問に関しては習慣的にやってきたのでどんどん言えるのだけれど、(本当にごく稀にだが質問をすることを反抗だと捉える人間もいて、そういう人は私とコミュニケーションを取るのではなくただ自分の思い通りに動く人間が欲しいだけだから、そっと距離を置く)理不尽なことに関しては私はめっぽう弱い。

最近「それは育ちが良いからだよ」と言われることが多いが、わたしは理不尽な経験をあまり積んできていないのだ。

理由があってそれ相応の仕打ちを受けるのは納得ができる。でも納得ができない理不尽さには到底耐えられない。うつ病になったのでなおさらその抵抗力は落ちている。

わたしはそれに対する方法として「抵抗力をつけよう」ではなく「理不尽な扱いを受ける場所にいかない」という手段を選んだ。その取り組みはそれなりにうまくいっていて、着実に自分を大切にすることができるようになっているように感じる。

それでも時々「?!」という扱いを受けることもある。

 

「それはおかしいと思います。」

この一言が言えたらどんなに楽だろう。きっと「こういう人とは関わるのを止そう」と思っていても深層心理レベルで「全員に好かれなきゃいけない」という幼少期の刷り込みが作用してなかなかこの一言が言えない。勇気がないのだ。

でも今回本音を吐き出した。怖かった。でもこれ以上自分の中に本当の気持ちを押しとどめていたら、頭がおかしくなりそうだったし、事実体調も急激に悪化していた。「生きるため、自分が自分を守らなくて誰が守るんだ」と必死に言い聞かせて本音を吐き出した。1ヶ月分のエネルギー量を消費した。

それでも結局、その挑戦が功を奏して、最終的に分かり合えることができた。

言いたいことが言えた瞬間の清々しさ、数ヶ月に渡って染み付いてきた血糊のようなドロドロした感情がすぅっと浄化されていくのが自分でもわかった。言ってよかった、と心から思った。これで私は「目を背けたい過去」を一つ精算することができたのだ、という喜びで全身が震えた。

 

合わない人と接触機会を減らす=ノイズを減らす、は確かにいい方法だけれど、たまに理不尽なことがあったら思い切って空気を読まずに本音で接するべきだと学んだ。特に大人になればなるほどこれは難しくなるけれど、そこは逃げてはいけないと思う。そこで勇気を出すことが、自分の過去の肯定に繋がっていくから、自分のために頑張ってほしい。

本音を言って、それでも決裂してしまったら「この人とは関わらなくて正解だ」となるし、もしかしたら誤解がとけて意気投合できる友人を見つけられるかもしれない。結局怖いのは我慢をしている間であって、その先にそこまでの恐怖はないように思う。