「理不尽について考えようブーム」がひっそりと来ています、とぴ(@Topi__)です。こんにちは。

 

生きていくことを選択すること

理不尽なことなんて気にしてたらしょうがない。

テロに巻き込まれた民間人だっている。よく考えたら、食べられるために育てられた鶏だっている。(ベトナムで撮った写真を見て思った)

しょうがない。しょうがないのです。

もはや前世の問題。

 

理不尽を受け入れない強さを持ちたい、という記事を以前書いた。

 

理不尽なことがありそれでもわたしたちが生きていくのを選択したのは、楽しいことがたくさんあるから。

会いたい人、食べたいもの、見たいもの、聴きたいもの、作りたいもの。

生きていれば、生きてさえいれば、実現するチャンスは山のようにやってくる。それをそんな理不尽なことで無下にしたくない、だから今日も生きていられる。

 

理不尽なことあってもこれ以上変な人に会うことはない、だからきっとこれが人生でのワーストな体験だな、と思う。

じゃあ次は今回と同じ匂いを察知したら早めに回避しよう、と知見を得ることができる。もうこれで今後の人生を快適に過ごすための武器を1つ手にいれたことになる。

もしくは、クリエイターの場合表現のネタを手にいれたことにもなる。理不尽なことは心をぐわっと良くも悪くも揺さぶってくるので記事もかけるし、曲にもできる。

 

この時点でメリットが2つもある。

なんだかんだ、理不尽も悪くないなあと思えるようになってきたと思う。

そして更にそんなことを考えてる自分に気がつき、『おおなんだか前に進んでるっぽいぞ』と。ほら、小さな自己肯定感もオマケで生まれた。

 

 

神さまは分かっている…多分。

うつ病、パニック障害…、理不尽なことに傷つき、今もなお、それを引きずりながらも毎日懸命に生きる人がこの世には沢山いる。

うつ病を公表してから、そんな人から連絡をいただく機会がとても増えた。本当に勇気を出して、良かったなあと思う。

 

音楽も写真も文章も、自身と向き合う手段としての表現だけれど公表している以上、やっぱり『より多くの人に知ってもらいたい』という気持ちはつきもの。
特に音楽は労力がかかっている分、もっと多くの人に届けられればいいのになあと思うことは、正直な話、ある。

でも、そういう深く共感してくれる人が現れた瞬間に『もっと多く』なんて本当にどうでもいい些細な問題だったなあと感じさせてくれる。それくらい、共感してくれる人との出会いはパワーになる。

 

結局、残念な出会いなんてほんと一握りで、ほとんどの出会いは素敵なものばかり。やっぱりちゃんと神さまは私たちが生き続けられるような仕組みを作ってくれているのだ。

だから、一握りに翻弄されずにきちんと得るものだけ得て、いらないものは切り捨てて、前を向けば良い。

わたしはそうすることに決めた。

 

ではでは良い日々を。