ご無沙汰しすぎています。とぴ(@Topi__)です。こんにちは。
ここ2ヶ月はというと、他に集中したいことがあり意図的にネットから距離を置いてました。
そろそろ2017年も終わるので、記録も兼ねて振り返って出来事とか思ったことを順に書いていきます。
「社会復帰問題なし」の診断書を頂きました
10月初旬に医師から「社会復帰問題なし」の診断書を頂きました。
2年かかりました。長かった!
うつ病は完治しないといわれています。症状が落ち着いており、肉体的精神的にも揺れが少なく平均して過ごせる状態=「寛解」という状態にあり、この状態なら勤め人をできるだろうと判断されたということです。
こちらにも書いたように、「元気良く(元気すぎるくらい)活動できる時期はあるもののそれを継続させること」に苦労したように感じます。今はこれくらいやると次の日ダメになる、まだできるけど後に響くからやめておく、のコントロールがやっとできるようになってきました。
今もセルフモニタリングの毎日です。
色んな生き方を知った上で、今は勤め人に戻ろうと思います
この2年間、実際に身体を動かして沢山の人に会いました。
そもそも私が大学を出たときは「どこで正社員をやるか」ということしか考えていなかったので、独立して仕事をする働き方を同世代がしていること、生活コストを極限まで下げて極力やりたいことしかやらない人などとの出会いは中々衝撃的でした。だって選択肢になかったんだもの。
ちょうど1年前くらいは体力的にも、勤め人に戻ることが全く想像できない状況だったので実際に国内の地方にいってコストを下げた田舎暮らしを体験したり、海外に行ったりする事で自分が生きる道を探しました。
そして、現時点での結論は「選択肢として持ちつつ、一旦は勤め人に戻ろう」というところに落ち着きました。
東京は好きじゃないけど、今の自分の居場所はここ
確かに東京で生きていくのは大変です。
どこにいっても全国から集められたハイレベルのひとたちに囲まれるから自分を保つのは大変だし、家賃は高くて人は多いしビルで空は狭い。毎日電車に乗ってみんなそろって同じ行動して馬鹿みたいだなあと思う瞬間も少なくないです。
それでも、好奇心旺盛な自分はなんだかんだ「手を出そうとすれば何にでもすぐ手が出せる」というこの環境に18の頃から色んな経験をさせてもらい育てられたと思うのです。そして東京に揉まれて体験したことで、ちょっとずつだけれど生きやすくなっている。
そして、やっぱりある程度価値観・常識の合う人といたいという気持ちが強かったから。
私たちはなんだかんだ、ある程度フィルタリングをされた結果今ここにいます。似たもの同士が集まって、社会ができています。
2年間、ちょっと既存の枠から飛び出してみて、自分の当たり前だと思っていたことはぜんぜん当たり前じゃないのだとよくも悪くもカルチャーショックを感じました。
視野を広げるためにもこういう体験は定期的にしたほうがよいと思う一方、やっぱり生活のベースである仕事をするなら共通の常識感覚を持っている人との方が居心地良く過ごせます。それは今の私にとってはとても大切なことなのかなと思ったのです。
なので、一旦はここに居座ることにしました。この2年を通じて得たもので、どう変わったのか1回確かめてみます。
でも半年後には東南アジアにいるかもね
と同時に、いざという時の為に常に別の選択肢は持っておきたいとも思います。
「こういう生活でも全然暮らしていけるな」という実践を伴う生き方の候補を他にいくつか見つけることができたのは大きいです。
正直1年後どうなっているのか全く予想がつきません。全て手放して東南アジアに来ちゃいました!とかもあり得ると思います(笑)
けれど、今の時点では、ガラッと生活を変えてまで手に入れたいものがないこと、それに伴うリスクがより大きなストレスになるんじゃないだろうかと判断して居座る選択肢をとりました。
復帰の練習
という訳で、社会復帰するぞーということで毎日外出して作業して帰るようなトレーニングを続けていたのですが、「毎日行くべき場所が欲しい(図書館通いを続けていたものの、人とのコミュニケーションが不足するのでしんどい)」「満員電車やデスクワーク耐性をつけたい」と思ったので、友人の友人の会社で、事情を話して事務のお手伝いボランティア的なことを2ヶ月続けました。
普通の人からしてみれば信じがたい話なのかもしれませんが、正直満員電車も怖いし、デスクワークに耐えられる自信もなく、とにかく不安いっぱいの状態で社会に飛び込んでいったわけですが、結論から言うと「意外に大丈夫」でした。
最初はみんなのタイピング音や電話対応の声に慣れませんでしたが、数時間もすれば以前の感覚を思い出します。
ずっとパソコンと触れる仕事をしてきたので作業スピードも早かったらしく、仕事をして感謝される感覚を久しぶりに思い出しました。2ヶ月しかお世話になっていないのに最終日にプレゼントまでいただき働くことに対するポジティブなイメージを取り戻せた感じがします。
音楽とか創作とか
病気から立ち直るきっかけを与えてくれた音楽。
ずっと心に残っていた「いつか自分で曲をつくりたい・自分だけのライブをしたい」をはじめとしたいろんなやりたいことを達成できたことも自分の中での大きな節目でした。
実はここ最近は音楽だけではなくあらゆる創作行動をストップしています。
おそらく他に注力をしたいこと=社会復帰、にエネルギーを注ぎたいからだと思うのですが、音楽、写真、ブログの執筆などあらゆる「創作系」の行動から離れています。
きっとそのような行動はわたしにとっては充電器のようなもので、ダメになりそうなときにチャージさせてもらい、それを元に次へ進むための行為なんだと最近気が付きました。
私は好奇心旺盛ですが何かを極めたいとか、継続するのがとても苦手です。
でも特にものづくり系は好きなので、何かを極められるクリエイターさんに心底憧れていたし、自分のことを何にも手につかないと責めたこともありました。
が、いまはなんだかこれはこれでありなんじゃないかなと思うようになりました。
きっとある瞬間にまた創作意欲がムクムクと?湧いてくるだろうと思うので、それまでは眠らせておくつもりです。おやすみなさい。「ライブ!」みたいなのはやりませんが音楽イベントはほんのり様子みながら続けたり参加したりする予定です。
「今に集中」
最近日記でも少し書いていたのですが、ちょっとずつ禅の「今に集中する」という思考が取り入れられるようになってきたのか?よい意味で何も考えずいくべき場所へ流されてみよう、みたいなマインドに変わりつつあります。
実際にいざ社会復帰OKになった瞬間、多様な選択肢を知った上で果たして自分はどう生きるのが正解なのか分からなくなりすごく苦しい時期がありました。
でも「やってみないとわからない」ことが多すぎたので、計画を立てたり予想をして憂いたり、不安になったりすることをやめました。それらの嫌な気持ちは全て妄想なんだ、という禅の考えを思い出しました。
(これ、おすすめです。下手に気持ちを切り替えなきゃ!とか考えよりも「おー今わたし妄想しているわ~」と考えるとぐるぐるする嫌な気持ちの渦から抜け出せます。)
結果、今ここ数ヶ月、今まで感じたことの無いくらいとても穏やかな気持ちで毎日過ごしています。
こんな感じで、飛び回って挑戦期を終えて地に足つけてじっくりと様子を伺う?といったフェーズに入った感じです。
こんなにも1年後どうなっているかこんなにも定かじゃないのは生まれて初めてですが、不思議と「案外こっちのほう=先行き不透明な方が人生の本来あるべき姿なのかも」とも思っています。
自分の体調コントロールに注力したいのでしばらくは大人しく、余裕が生まれたらまた何かしらはじめると思います。
流れに逆らわずゆるりと
2018年も、あらゆることの流れに逆らわずむしろ乗ってみるくらいの気持ちで毎日健康に、穏やかに暮らせればいいなと思います。
沢山の人にお世話になった2017年、本当に濃い1年となりました。
どうぞ来年もよろしくお願いします。
ではでは良いお年を。(年末バージョンです!)