最近ふと気が付いた。自分のことを自分で虐めなくなったなあと。

自分のできないこととかを許せるようになって、前に進んだことに注目するようになった。

 

例えば、音楽に関してだったら今年に入ってから少しずつまた接する時間を増やせている。

別に、特段モチベーションが上がる何かイベントがあったわけでもないのだけれど、結果として触れる回数が増えたような気がする。もちろん疲れているときはやらないし1週間以上ノータッチの時も全然あるけれどここ半年くらいほぼ触れていなかったことを考えると良い傾向なんじゃないかなーとぼんやり思う。

 

例えば、わたしは飽き性で「練習」と言われるものが嫌いなので酷いときは5分も続かない。周りの音楽に対して情熱ある人は毎日2時間ほど練習を確保しているという話を聞いたりすると、そういうことができない自分に対して「そんなんじゃいつまで経っても上手になれないじゃないか~」と自分を叱っていたのだけれど(しかも叱ったところで結果やるわけではないから何も得ていない)最近はちょっと触っただけで謎の満足感を感じるようになった。

それは「やらない」→「1分でもいいからやる」って大きな違いだよなあと気が付けたからなんだろうけど、この思考はどこで作られたのかなあと思うと、実は日々のお仕事でだったりする。本当に何がどこで生きるかわからない。

 

やりたい気持ちが少しでもむくっとしたらそれを褒めてあげたい。

生えてきた若葉に対してちゃんと十分な太陽と水分を与えてあげるのは、自分の責任だ。

 

自分の中には

  • ギター弾けるようになりたい
  • クラシックピアノをやりなおしたい
  • そしたらアコースティックな録音環境を整えて音源つくりたい
  • できたらこのスピード感、かつ音楽性が似た音源作り一緒にできる仲間が出会えたらうれしい

みたいな成し遂げたいことはまあまあ昔からあって、お仕事みたいに最終ゴールを踏まえて予定線をひいて、日々それに向けて努力すれば成し遂げられるんだろうけど絶対そんなことをしたら楽しめなくなってしまう。そういうストイックなのは、できる人がやればいい。少なくともわたしはそういう動き方で成果を出せる人ではない。(と気が付くのに随分時間がかかった)

 

この「ちょっとでも触れたならそれでいいじゃない」という感覚は、もともと持ち合わせている人からしてみれば当たり前なのかもしれないけど私の中では結構な革命だった。もしかして、もしかしたら、皆はこれくらい自分にやさしくしているのかもしれない。やたら楽観的かつのんびり幸せそうな人がどんな感覚で日々過ごしているのかやっとわかった気がする。。

 

まだまだわたしは自分に対して厳しい評価を出してしまう方らしく、それは周りの人と話して気づかされる。「やる/やらないという極端に物事をとらえてるよ。ちょっとずつ、真ん中を設定してそれで進んでいけばいいんだよ」「だって半年前のこと思い出してみてよ?この半年でできることどれだけ増えたと思う?」みたいな意見をもらうときに、ああ私ってばまた白黒思考やっている!と気づく。

ただこの時も「また白黒思考やってしまった…」ではなく「こういうのに気づかしてくれる人がまわりにいるの本当ありがたいなあ恵まれてるなあ」みたいに考えるようになっていてこれは結構いい傾向なんじゃいかなと自分でも思う。

 

 

音楽に限らず、最近は写真も楽しんでやっていることの1つでこっちもゆるっとした感じで面白みを感じられている。

自分がやっていてその瞬間たのしいこと、わくわくすること、当たり前だけど何よりも大事。

 

 

コントロールできない出来事が容赦なくふりかかるのが世の中で、少なくともプライべートのあれこれで自分を虐めるなんて本当に意味のないことだ。